私の投資家としての成長記録をだらだらと書いてみました。
個人的なことが多いため、あまり参考になるとは思いませんが、自分を原点から振り返る良い機会として書かせてもらいました。
投資を始めてからうまくいっていない方の参考になれば、嬉しい限りです。
全部で3回に分けて公開いたします。
この記事は第2回「投資を始めてから」です。
第1回は「投資を始めるまで」です。
第3回は「継続した利益を確信するまで」の予定です。
第1回の記事はコチラ
第3回の記事はコチラ
*2022年01月 追記・編集済
*2022年07月 追記・編集済
*2023年01月 追記・編集済
*2023年07月 追記・編集済
*2024年01月 追記・編集済
*2024年07月 追記・編集済
いざ投資開始
口座開設を終え、投資をする準備が整いました。
私の場合、最初は会社に勤めながらでした。
もう時効なので言いますが、完全に仕事をさぼっていました。
「数台のディスプレイの前で」ではなく「車の中でノートパソコン片手に」でした。
当時の通信速度は、確か64kb(NTTドコモ製)だったと思います。
現在と比べると、もの凄く遅いと思います。
ですが、当時は特に遅いと感じることはなく十分でした。
デイトレに挑戦
取引スタイルは、ブームということもありデイトレに挑戦しました。
最初の大きな利益は「ライブドア」でした。
例の大きな事件を起こした本元です。
当時は注目されていたので、頻繁に取引していました。
ですが、この「頻繁」に苦しみました。
何に苦しんだのか。
それは取引手数料です。
ネット証券が普及し始めたとはいえ、1回の取引手数料が1,000円前後でした。
それまでは、おそらくもっと高かったはずです。
ですが、デイトレーダーにはなかなかの金額でした。
取引スタイルを変える(取引回数を減らす)必要がありました。
仕手株との出会い
デイトレからどうしようかと迷っているときに、仕手株に出会いました。
幸い書籍等で猛烈に勉強していたため、仕手株についてある程度の知識がありました。
といっても「仕手株=短期間で急騰する」くらいです。
デイトレーダーから仕手株投資に変更したのが2003年くらいです。
デイトレーダー歴は1年もないです。
そもそも向いていませんでした。
お祭り騒ぎをしている銘柄に素早く乗り、ある程度の利益を出したら素早く降りる、なんてことを毎回繰り返すことがかなり苦痛でした。
なぜなら、取引する銘柄には何の法則もなかったからです。
突然値上がり率ランキングに顔を出しただけです。
敏腕デイトレーダーならいくつか法則を見つけられるのだと思いますが、当時の私は何も見つけることができませんでした。
頭の中が完全に理系(物事に理由を求める)でしたので、何か理論がないと納得できない状態でした。
突然分からない銘柄が、投資対象になってすぐに投資対象でなくなることが、とにかく無理でした。
利益が出れば何でもいいのですが、ダメでしたね。
一方、仕手株は分析すればするほど理論がしっかりありました。
ここでいう理論とは「こうなったらこうなる」みたいな感じです。
例えば「株価が下げ止まったら初動が近い」とかです。
そこに「下げ止まる=仕手戦開始の準備が完了」が成り立ちます。
数学の証明みたいになるのですが、とにかくこのように一つ一つが理論的に説明できないと行動(取引)できない性格でした。
こんなことを試行錯誤しながら、投資経験を積んでいきました。
損失に苦しむ
2002年から始めて2004年くらいまでは利益が出ませんでした。
正確に言えば、利益は出ていたのですが、損失の方が大きかったです。
「取引ルールが守れない」「損切りできない」「利益が出て調子に乗る」が主な原因です。
完全にメンタルの問題でした。
サラリーマンとの兼業も影響していたかもしれません。
ただ、投資を辞めようとは思いませんでした。
はっきり「コレ」というものはありませんでしたが、何か大きな可能性を感じていたのだと思います。
「自分の分析力がまだまだ足りない」とも感じていました。
しっかりやるべきことをやり遂げて、その結果利益が出なければ辞めればいいと。
恐らく考え方の軸として「投資は趣味」と捉えていたと思います。
大きな利益が出たので会社を辞める
利益が出始めたのは2005年くらいからです。
当時は、超低位株(株価50円以下)がたくさんありました。
仕手株の定義は投資家によって違いますが、私は「超低位株=仕手株」として捉えていました。
なぜなら、短期間で急騰したからです。
当時はすさまじいものでした。
株価30円が150円に急騰、しかも数ヶ月以内。
取引方法は、1銘柄に全資金を集中させていました。
その結果、1週間でサラリーマンの年収以上の利益が出ることもありました。
完全に仕手株の虜でした。
2004年~2007年は、もの凄く良い相場だったと思います。
当時は、それ以前の相場のことは知りませんでした。
今考えてみると、SARS(サーズウイルス)が流行ったのは2003年です。
しかも、日経平均はちょうど底でした。
株式投資を始めたタイミングが良すぎでした。
ただ、当時は完全に実力だと舞い上がっていました。
だから、会社を辞め専業になれたのだと思います。
専業になったのは2005年の夏ごろです。
「エス・サイエンス 5721」での利益がきっかけです。
株価20円が100円くらいまで上昇しました。
利益は1,000万円を超えていました。
「大きな利益が出た」が辞める理由の一つでした。
それよりも大きな理由は、とにかく株が楽しすぎたことでした。
分析も好きで相当のめり込みました。
ただ、さすがに不安もありました。
会社を辞めたと同時に、家庭教師と塾講師を始めました。
この二つを選んだ理由は単純です。
「取引時間(9時~15時)以外、時給が高い」で検索したら出てきただけです。
幸い数学ができたため、時間外労働(予習や復習)せず、ほぼ丸一日を投資に費やすことができました。
会社を辞めてからは、ひたすら仕手株の理論について分析しまくりました。
理論の内容は「どんな銘柄が、いつ上昇し始め、いつ下落し始めるか」です。
言い換えれば「どの仕手株に、いつ取引し、いつ利益確定するか」です。
こんな感じで仕手株だけにのめり込んでいたため、大型株、優待株、配当株のことはほとんど分かりません。
取引すらしていません。
仕手株の特性と、自分の性格や取引方法が合っているのだと思います。
ライブドアショックそして…
2006年のライブドアショックは刺激的でした。
当時の仕手株(自分の取引対象)の中にライブドア関連がなかったため、直接的な被害はありませんでした。
ですが、相場が大きく荒れたため損失はありました。
今思えば、このときにもっと損失について学ぶべきでした。
この先起こるリーマンショックまでは、幸い大きな損失を経験することはありませんでした。
故に、本気で億万長者を狙っていました。
第3回は「継続した利益を確信するまで」の予定です。
お楽しみ?に
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