👀 見出しつきテキスト
自由な生き方について
自由っていう言葉を聞くと、いろんなことを想像できると思います。
私の中で自由っていうことはどういうことかというと、毎日起きたときに、今日は何をやろうかなっていうのを決められること。
これが自由な生き方かなというふうに思っています。
だから自由でない生き方っていうのはどういうことかというと、例えば何々しなければならないとか、何々するしかないとか。
とにかくまず何かをやって、その後何かをやってみたいに、そういうふうに自分のやることっていうのが決められている状態っていうのが自由ではないなと、そういうふうに考えています。
投資家の自由な生き方
私が今している仕事っていうのが主に投資家なんですけど、投資家は比較的自由な生き方ができる職業かなと、そんなふうに感じています。
なぜなら毎日起きたときに、今日は何をしようっていうのを自分で決められる自由っていうのがあるからだと思います。
そうは言っても、めったに9時から相場が始まるにあたって、その相場を見ないっていうのはあんまりないんですけど。
言ってみればそれを見なくてもいいっていう選択もできますし、それを見てもいいっていう選択もできるし、とにかく毎日起きたときに自由に決められると。
その反対の相場を見なければいけないとか、相場を見るしかないとか、そういうことがないので、ただこれが自由かって言ったら、起きたときに相場がどうなるんだろうっていうのは、もう気になって気になってしょうがないんだよね。
起きたときに決めてるというよりはもう決まっているっていう感覚なので、そこら辺はサラリーマンの方ともしかしたら同じなのかなと。
ただその中でも自分がやりたいと思っていることをやっているっていう感覚があるので、そういう意味ではかなり自由な生き方ができる職業なのかなと、そういうふうには思います。
自由な生き方の比較
じゃあここからは投資家っていうことから外れて、比較的自由な生き方っていうのはこういうことかなっていう話をしていきます。
自由って言うと、いろんなところに旅行に行ったり、海外に飛び回っているとか、そういうことが自由っていう人も多いんじゃないかなと思います。
例えばいろんなところに、日本の中でも、日本は世界的に見れば狭いですけど、まあ十分広いと思うので、いろんなところに住んでみるっていうのも自由な生き方の一つじゃないかなと思います。
ただ、いろんなところに住みたいっていう願望みたいなのがそもそもなかったとしたら、人から見ればいろんなところに住むとかいろんなところに行くっていうのは自由な生き方にも感じるかもしれないですけど、本人がいろんなところに行きたいという意思がそんなにないとしたならば、それは自由な生き方ではないってことになるので。
地元にずっといたいっていう人も多いですし、わざわざ知らない人がいるところに行くっていうのが苦痛っていう人も結構多いと思うので。
結局は、自由な生き方っていうのは自分がしたいことをするっていうことになるので、案外視野が狭いものなのかなとも思ったりします。
実際その自由な生き方って何ですかって言われて、割とそれを考えるのが疲れちゃうっていうかね、まあそれ自由な生き方ってあるけど、結局そんな無理じゃんとか、無理じゃんっていう結論になることが多いと思うので、考えること自体が何の意味もないっていうこともあると思うんですよね。
あとはそうだね、やりたいことなんてそんなに実はないのかもしれないですね。
今やるべきこととか、やらなきゃいけないことっていうことかもしれないですけど、案外そういうふうに縛られてる方が充実感があったり、安定感があったりすることも多いと思うんですよね。
やりたいことの欠如
そんな日々を過ごしているのに、やりたいことっていうのがなかなかそんなにはないんじゃないかなと思います。
仕事を週5日ぐらい仕事をして、残りの2日でやりたいことをやるっていうのが、割といいサイクルなのかなと思ったりもします。
私の場合はもうやりたいことしかやってないっていう人生を送っているので、特に週5日働いて週2日休むとかっていう概念がそもそもなくて、休みっていう概念もないですね、実は。
言ってみれば毎日休みみたいな感覚で生きているので、そういうのがね、人から言わせてみると自由でいいねって言われることもあるんですけども、実際、自分の生活を振り返ってみると、自由なのかって言われると、そんなに自由はないんじゃないかなって思ったりもします。
その理由として、私の場合ですけども、毎日やることが決まっていて、1週間以内でこういうことをやろうとか、1ヶ月かけてこういうことをやろうとか、半年かけてこういうことをやろう、1年かけてこういうことをやろうっていうのが具体的に決まっているので。
1人で仕事をしている関係上、そういうのをしっかりしていないと、ずるずるずるずる自分の弱い意思とかで負けてしまうと何も達成できなくなるので。
かなりそういうところはしっかり日々過ごしているので、それを淡々とこなすっていうのは、なかなかできることじゃないんじゃないかなと。
そういう話をすると、全然自由じゃないねって言われ方をするので、ここは自分がどう思って生きているかっていうことにもしかしたらなるかもしれないですね。
私の場合は、すぐにできることはすごくつまらないんですね。
あと誰でも誰でも言い過ぎですけども、ある程度多くの人ができてしまうことには何の興味もないので。
実際その自由な生き方をしているのかもしれないですけど、かなり視野は狭くて、なんだそれしかできないじゃんっていうぐらい視野が狭いので。
逆にいろんなことができたり、いろんなことに挑戦してたりする人を見ると、なんか自由な生き方していいなって思ったりします。
ただ、だからといっていいなーって止まって、その人の自由な生き方を真似ようとまでは思わないので。
結局、自由な生き方って何なんだよっていう話になっていくんですけど。
少なくとも、自分で時間をどう使うかっていうのを決められるということが、自由な生き方なんじゃないかなと、今のところ私はそういう結論でいます。
💎 要約
この文章では、「自由な生き方」についての考え方が述べられています。
自由とは、自分でやりたいことを選び、時間をどう使うかを自分で決められる状態であると定義されています。
具体的には、毎朝起きたときに「今日は何をやろうか」と自分で選択できることが自由であり、それが投資家としての仕事に適した生き方だとされています。
一方で、自由な生き方には矛盾や限界も指摘されています。
多くの人にとっては、自由とは旅行や新しいことへの挑戦といった多様性を伴うものだとされますが、必ずしもすべての人がそういった生き方を望んでいるわけではありません。
自由に見える生活でも、やりたいことが特にない人や、日常のルーティンの中に安定感を見出す人もいるため、自由の定義は主観的で多様であると述べています。
さらに、筆者は自分自身の生活を振り返り、「自由でいいね」と言われることがある一方で、実際には仕事や目標が日々明確に決まっており、思いのほか自由ではないと感じることがあると認めています。
これにより、自由とはただの「何でもできる状態」ではなく、目標や自己管理が伴うものであり、他人から見る自由さと自分が感じる自由さにはギャップがあることが示されています。
最終的に、自由な生き方とは「自分で時間の使い方を決めることができる」というシンプルな結論に落ち着いていますが、それが必ずしも簡単ではなく、視野の広さや狭さ、個々の価値観に依存する複雑なものであるとしています。
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