目次
👀 見出しつきテキスト
投資家の存在
投資家という響きは悪くはないと思います。
ただ音楽家とか建築家、この方たちのように果たして偉大な存在であるのかと、そう考えると偉大であると言い切れる、そんなことはないのかなと思います。
もちろん誰もが慣れないような投資家であれば、いわゆる億単位を簡単に動かせる投資家であれば、確かに偉大な存在であることは確かですし、 歴史に名を残すことができる投資家であると思います。
偉大な投資家の定義
そういう投資家はもちろん偉大だと言えると思います。
ただ頻繁に取引をしないまでも、取引したことがある方たちを全て投資家という形で呼ぶとしたならば、かなりの人数の投資家がいることになります。
じゃあその人たちそれぞれが投資家として偉大なのかと言われたら、 違うと答えるのが一般的ではないかなと思います。
もちろん私もそのうちの一人であって、 とても偉大な投資家という形ではないと思います。
かつ偉大な投資家を目指しているわけではないので、 当然偉大な存在になるわけでもなく、ただの投資家という形になると思います。
多くの取引をしたことがある人たちを投資家と呼ぶならば、求めていることは利益であって、歴史に名を残すことはほとんどの投資家は考えていないと思います。
メディア露出と投資家の評価
ただそれでも、今は情報社会であるがゆえに、億単位の利益を出している投資家というのは、たびたびメディアに取り上げられて、投資雑誌だったり、YouTubeだったり、テレビだったり。
いろいろ方法はありますが、メディアに露出して、自分の実績とか取引のやり方とか、投資に対する考え方とか。
そういうのを紹介している方たちが割といるので、その人たち全てとは言いませんが、私からしてみれば偉大な存在だなというふうには感じています。
ですが、偉大な投資家と感じてはいるものの、取引方法を真似するとか、参考にするとか、その人のYouTubeをたくさん見るとか、そういうことにはつながってはいません。
外部情報の取り入れ方
意識的に見ないようにしているというか、関わらないようにしています。
これにはしっかりとした理由があって、やっぱり投資家というのは、自分一人で色々物事を進めていくという職業なので、あまり外部の情報を取り入れすぎると、取引一つに対しても、どういうことが起こったら取引しようというのが自分の中で軸がないと。
そこに軸があったとしても、そこに色々な、例えばこういうふうな取引して、私は利益を出しましたとかという情報がいっぱい入ってくると、どれが正解なんだろうというふうに分からなくなってくるので。
そういった意味で、あまり偉大な投資家の言っていることでさえも参考にはするものの、あまり自分の中に取り入れすぎると、今度は自分があえてマイナスになってしまうので、そこは注意するようにしています。
こういう言い方をすると、すごくもっともだなって言い方に聞こえちゃうんで、 正確に言うと私の場合は、もう人のことが気にならない。
そもそも、そんなに人のことを気にして生きてきたことはないので、 悪く言えば自分勝手とかね。
自己中とかそういう言い方になると思うんですけど、ある程度自分の取引方法が確立してからは、 もう外部の情報っていうのがそんなに気にならなくなりましたね。
一つ例を挙げれば、投資を始めた当初から、 投資本っていうのはものすごく読んでいたんですけど、もうここ数年は一冊も読んでないですね。
読書の意欲の低下
確かに参考になる本っていうのはたくさん出てると思いますし、 参考にすべきとも思うんですけども、なぜか読もうとは思わなくなってしまったっていうのが現実ですね。
もうめんどくさいっていうのか飽きてきたのかもしれないですね。
だいたいみんな言ってることは同じですし、 本でも売れなきゃしょうがないので、本を売るための言い方っていうのかな。
そういうのがまたこういうこと言ってるなとか、 こういうことを言えば本が売れるなみたいなそういうのがね、なんか気づいちゃったっていうか、そういうのが見えてきちゃって。
投資本の退屈さ
なんかその人本来の主張っていうのがあんまりなくなってきたなと。
あとね、投資本っていうジャンルが基本的にはお金にすごく関係する分野なので、真面目っていうか、おちゃらけた感じではとても書けない本なので、その真面目さが故に経済の学問を語ったりとか、なんかそういう理論を語ったりとかね。
そういうことがもう飽き飽きしちゃったっていうか。
あとは人間の心理、投資心理っていうのを書いた本も多いですけど、それももう一通り理解しちゃったというか。
また同じこと言ってるなっていうのの繰り返しなので。
そんなに人の心理っていうのは時代によってコロコロ変わるようなものではないと思うので、そこら辺の繰り返しっていうのが見てて疲れてきちゃったかなっていうのがあるのかなと思います。
そうは言うものの、やっぱり投資本っていうのは今までたくさん読んできたので、当然投資家として偉大な方の本っていうのはかなりたくさん読みました。
その人は当然かなりの富を築いているので、じゃあそれがなんでそこまでできたかっていうことを書いた本とか、そこまでの軌跡とかそういうものにはやっぱり興味があったので、そういうのはしっかり読み込みました。
成功者の模倣と憧れ
もちろんね、性格も違えば生い立ち、生き方、時代とかも全部違うので、 全てが全て参考になるわけでもないし、全て自分に取り入れられることでもないので。
偉大な投資家の方の本を読んだからって、自分がすぐに偉大な存在になれるかって言ったら全くそんなことはないんですけども。
一人の成功者としてどういう成功の仕方をしたのかなっていうのは、知らないよりは知っていた方が当然いいですし、憧れっていう気持ちも大事なのかなと思います。
本日は、投資家は偉大なのかっていうタイトルで話を進めてきましたが、投資家に限らず偉大な存在になれる方っていうのは本当に数少ないと思います。
なので、投資家限定で考えると偉大な投資家はかなり少ないと思いますけど、偉大なのかと言われたら偉大なんじゃないかなっていう考え方もあります。
ただ、だからといって自分がそんな存在になれるわけはないですし、偉大な存在になろうとも思ってませんので、なれないのでね、絶対に。
今からオリンピックで金メダル取れるかって言ったら取れないのと同じくらいできないので。
ただ、私も情報を発信してるっていうことをやっているので、それを見に来てくれる方とか期待してくれてる方にとってはほんの少しではあるけど、偉大な存在になれればなと思ってやっております。
💎 要約
投資家の存在について考えると、投資家という肩書き自体は特に悪いものではないと思いますが、音楽家や建築家のように偉大な存在であるとは限りません。
億単位の資金を動かせる投資家は確かに偉大で、歴史に名を残すこともできますが、すべての投資家がそうではないのです。
私は偉大な投資家を目指しているわけではなく、利益を追求するただの投資家です。
多くの投資家も同様に、利益を求めているだけで、歴史に名を残すことは考えていないでしょう。
しかし、億単位の利益を出している投資家はメディアに取り上げられることが多く、その実績や投資方法について知ることができます。
外部の情報を取り入れすぎると、自分の取引判断がブレてしまうため、私は意識的に外部の情報を取り入れないようにしています。
自分の取引方法を確立することが重要だと考えているので、ここ数年は投資本をほとんど読んでいません。
投資本の内容が似通っていて飽きてしまったことや、売るための内容が含まれていることがその理由です。
成功した投資家の軌跡や方法を知ることは参考になりますが、彼らのように偉大な存在になれるわけではありません。
偉大な投資家は少ないですが、彼らの存在を知ることは意義があります。
私は自分の取引方法を確立し、外部の情報に影響されずに投資を続けることを重視しています。
また、情報を発信することで、見に来てくれる方々に少しでも役に立てるように努めています。
カテゴリ:投資ラジオ(stand.fm)