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$235 比較対象の設定


 

 



 

 

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比較対象の設定

 

 

比較対象の設定ですが、多くの人はどうしても他人と比較してしまうのではないかと思います。

 

これは思考が他人に向いているから、これが一番大きな要因ではないかと思います。

 

人のことを羨ましいとか、時には悔しいと思ったり、最悪に絶望したり、こういうことが起こってくるのではないかと思います。

 

ただ、比較することは悪いことではないと私は思っています。

 

他人と自分の違いをどう捉えるか、ということが大事なんじゃないかなと思います。

 

他人と自分の違いを比べるにあたって、自分自身が多数派の方にいるのか、もしくは少数派の方にいるのか。

 

まず、それを知ることが大事です。

 

そして、周りの反応というのも、どうしても気にしてしまうと思います。

 

集団生活をしている以上、自分というものが周りに対して、どういうふうに映っているかとか。

 

もしくは、比較の対象になっているかというのは、やっぱり気になるところではあるので、周りの反応というのは、どうしても気にしてしまうんじゃないかなと思います。

 

 

自己成長と努力

 

 

あとは、自分自身のことが、努力で変えられることなのかというところだと思います。

 

例えば、目標となる人を設定したりして、努力で変えられるかどうかというのが一つの焦点にはなると思うんですけど、目標となる人の設定でいいなと思うのは、ほぼ毎日に近いくらい接している人というのを、目標となる人に設定するのがいいんじゃないかなと。

 

それなら、毎日ほぼ会っているので比較しやすいですし、成長もしやすいんじゃないかなと思います。

 

ただ、一方その比較対象が高すぎると、自分とは大きくかけ離れすぎていると、多くの場合、その比較が無意味に終わるんじゃないかなと思います。

 

せっかく比較するのであれば、目標というものは高い方がいいのかもしれないですけど、やっぱりその人はその人の良さであるし、その人にしかできないことも当然あるので。

 

ただ、そういう風に理想とする人を掲げるのは大事だと思うので、その比較対象が高すぎない程度に設定するというのも、大事なことなんじゃないかなと思います。

 

 

比較と自己肯定

 

 

皆さんが、どんな風に育ってきたかというのはちょっと分からないですけど。

 

よくあの人を見習いなさいとか、あの人みたいになりなさいというふうに親に言われて育ってきた。

 

私は育ってきたので、ただそれに対してはかなり反抗していたように思います。

 

学生時代から幼稚園ぐらいから別に人は人、自分は自分という形で、そんなに人のことを気にしていなかったですね。

 

だから、比較っていうことを積極的にはしてなかったと思います。

 

むしろ、その比較対象に自分がなることの方が多かったですね。

 

一つ、今でも覚えているのは、ピアノっていうのを小学校1年から6年生まで6年間ずっと続けてたんですけども。

 

その時期は、結構団地がいっぱいあるところで、狭い範囲に何百人という人が住んでいるような地域に住んでいたことがあったので。

 

そこで、あの人は上手いという形で有名になってまして。

 

そのピアノ教室にあの人みたいになりたいという形で、多くの小さいこっちが入っていたというのを後から聞いてびっくりしたんですけども。

 

だから、ピアノは趣味までいかなかったですけど、親がやりなさいって言われたからやったっていうのに近いんですけど。

 

そんなにピアノを習うことが苦しかったとか嫌になるってことはなく、なんとなく好きだったんでしょうね。

 

なんとなくやれてたので、それが上達につながったんじゃないかなと。

 

結局は、その比較対象って話を今日してますけど、最終的にはもう自分次第だと思います。

 

先ほど、冒頭では他人とどうしても比較してしまうって話をしたんですけど。

 

それは、思考が他人に向いてるからそういう風になるわけであって、思考がどれだけ自分に向かっているかと、自分が一番大事であって、そして一番好きであるということが大事なんじゃないかなと。

 

これが、幼稚園とかそういう小さい時からもう自分の中に備わっていたので。

 

もしかしたら、比較対象に自分自身が多くの人も比較対象になっていたんじゃないかなと。

 

そんなふうに振り返ってみると、そうだったのかなって思ったりもします。

 

 

自己成長と年齢

 

 

まあこの思考がどれだけ自分に向かっているかっていうのは、もちろん仕事にもよりますし、自分の今置かれている立場っていうものにも当然よると思います。

 

だから、一概に他人と比較するのが良くないってわけじゃないですけど。

 

私は、年齢が上になればなるほど、やっぱり自分に思考が向かっていないと、いろんなことが達成できないんじゃないかなと思います。

 

やっぱり、自分のことを大事に思って、そして信じていかないと、何か起こった時にそれを乗り越えられる力っていうのがなくなってしまうので。

 

ただでさえ、年齢を取ってくると体力的なものが落ちてくるので。

 

その経験とかで補っていかなきゃいけないので。

 

やっぱりその時には、人の助けっていうのもあるかもしれないですけど、最終的には自分でどうにかしていかなきゃいけないので。

 

あんまり自分以外のことと比較ばっかりしていると、自分自身が見えなくなってくるっていう弊害も出てくると思うので。

 

なかなか、この比較っていうことは、ずっと人生のテーマっていうか難しいことですけども。

 

私は、こうやって発信っていうものをしているので、かなり思考っていうのが自分に向いています。

 

むしろ、向きすぎかもしれないですね。

 

少しは人のことを考えるよっていうことも、自分自身で感じたりするんですけど。

 

自分に対して、思考が自分に向かっている自分が好きっていうのがあるので。

 

だからこそ、こういう発信作業っていうのができているのかなとも思います。

 

 

比較と発信作業

 

 

今日、比較対象の話をしてきましたけど、またこのタイトルですることもあるかと思います。

 

生きていく上で、結構大事な要素かなと思うので。

 

また、話がまとまったら同じようなタイトルで話していくかもしれないんで、その時は聞いてやっていただければありがたく思います。

 

 

💎 要約

 

 

この文章では、「比較対象の設定」に関する考えが述べられています。

 

多くの人は他人と自分を比較してしまいがちですが、それが悪いことではないとされています。

 

他人との違いをどのように捉えるかが重要であり、自分が多数派か少数派かを把握することが大切だと述べられています。

 

比較は自己成長に繋がることもあり、毎日のように接している人を目標に設定することで、努力しやすく成長しやすいとしています。

 

しかし、目標があまりに高すぎると、比較が無意味になることがあるため、比較対象は現実的な範囲で設定すべきだとも指摘されています。

 

自身の成長についても言及されており、小さい頃から「人は人、自分は自分」と考え、他人との比較をあまり意識せず、自分を大事にしてきたことが述べられています。

 

年齢を重ねるにつれ、思考を他人ではなく自分に向けることが重要であるとし、自分を信じ、自己成長を意識することが大切だと考えています。

 

最後に、他人と比較ばかりしていると自分自身が見えなくなる弊害もあるため、自己肯定感を高め、思考を自分に向けることの重要性が強調されています。

 

発信活動を通じて、自己理解を深め、自分に対する考え方が整理されていくプロセスも述べられており、今後もこのテーマについて発信していく意欲が示されています。

 

 

 


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