運営者について
株式投資のなかでも仕手株に特化したサイトのため、運営者に対しては「怪しさ」しかないと思います。
それでも「株で利益を出したい」との思いが、このページを開かせたのだと思います。
私はみなさんと同じ「個人投資家」です。
仕手筋(投資ファンド)とはまったく無関係です。
ただ、分析しすぎたせいで仕手筋(投資ファンド)の思考回路が身についているため、疑われたことはよくあります。
サイト運営の目的は「利益の共有」です。
ひとりでも多くの投資家が利益を出し、さらにその利益が続くために必要なことを公開しています。
また、このサイトは無料と有料の2つに分かれています。
無料の内容に共感(納得)していただいた投資家様が有料に進んでいます。
有料では「ファンベース」を軸に、ひとりでも多くの自立した投資家の誕生に少しでも力になれたらとの想いがあります。
日本ではまだまだ投資家は「職業」として認められていませんが、それでも堂々と「職業投資家」と言える投資家が増えることを願っています。
仕手株専業投資家
チャート分析、板情報の分析、出来高の分析、第三者割当新株予約権の分析、大量保有報告書の分析、そしてそれらの確率統計学により、仕手株で利益を出し続ける方法を導き出しました。
サイトを通じて考え方や手法を公開することで、株式投資で利益を出し続ける喜びを共有できればと思っています。
利益を出し続けるためには
投資で利益を出すことは簡単です。
なぜなら、保有した銘柄が上がりさえすればいいからです。
つまり、50%の確率で利益を出すことができます。
しかし、利益を出し続けることは相当困難です。
なぜなら、投資には損失の概念がありさらに心理的要素も含まれるからです。
私は2002年から投資を始め、多くの利益と損失を出してきました。
そんな体験からいくつかルールのようなものが生まれました。
利益を出し続けるための何かのヒントになれば幸いです。
どうやったら損をしないか考える
毎日地道な取引を心がける
希望的観測をしない
絶対損をしないという緊張感
どれだけ続けられるか
有料書籍の販売
このサイトでは、株価動向として「出来高を伴って大きな動きをした銘柄」の詳細を、ほぼ毎日(無料)公開しています。
企画(有料)では、分析から得られる株価動向の理由、投資心理に基づく考え方、仕手筋(投資ファンド)の傾向をより詳細に公開しています。
また、企画とは別に「利益を出し続ける投資家」に必要なことを、有料書籍にて何冊か販売しております。
企画について
企画は仕手株投資の最前線だと言えます。
なぜなら、私にとっては変化を把握し、理解し、理論的に伝える場だからです。
最近は使命を軸に考えるようになりました。
投資家としての成功というよりは、そのスキルを使って多くの投資家に、自分のようになってほしい想いがあります。
まさにそれが「企画」です。
自分のスキルを余すことなく伝える(と言いつつ有料ではあるけれど、それはボランティアではないこと、有料であるが故に手を抜けない緊張感を利用して)ことで、あらゆる意味でひとりでも多くの自立した投資家の誕生に少しでも力になりたい想いがあります。
私にとって企画は、やらされる仕事が嫌いで自分のやりたい仕事だけやってきた仕事観から、人に喜ばれる仕事観(使命)にシフトし、これから先の大きな軸になればいいなと思っています。
仕手株投資家としての成長記録
少しだけ自己紹介させてください。
〈投資に出会うまで〉
投資との出会いは2002年の春くらいでした。
その時はサラリーマンとして働いていました。
入社試験の面接で「上を目指してずっとこの会社で働きます」なんて言ったのを思い出します。
職種は営業でした。
特に成績が悪くも良くもありませんでした。
先輩たちをみて将来の年収を考えるようになりました。
これぐらいの成績なら月収はこれくらいになって、そうすると年収は…なんて感じです。
当時からお金に執着があったのだと思います。
だから、営業を選んだのかもしれません。
当時、会社員は年収1000万くらいが大きな壁だなと感じていました。
なぜか1000万円が十分だとは思わなかったみたいです。
「億」という響きに憧れていた記憶はあります。
こんな気持ちがあったからこそ、職にはついていたものの何か他に稼げることはないかと常に探していました
〈投資を知ったきっかけ〉
営業ということもあって、頻繁に飲み会みたいのに参加していました。
同期や友人たちとではなく、異業種の人たちがお金を払って集まるやつです。
出会う人ほぼすべてが自分より年上でした。
だから、多くのことを教えてもらいました。
とにかく、今の自分の営業の成績を良くするよりも「何か稼げること」しか聞いていなかったように思います。
そんな意識で参加し続けていると、稼いでいる人が分かるようになってきました。
服装や話し方、姿勢やしぐさ、注目していることなどからです。
ここで当然投資の話が出てくるわけです
多くのお金持ちは、皆投資をしていました。
当時はデイトレブームの始まり?だったのか、投資を始める人が増えていた頃でした。
ネット証券会社が増えたのもこの頃だったと思います。
ですが、何となく知っている程度の人がほとんどで、実際に手を出す人はあまりいなかったように思います。
私もその一人でした。
〈投資に対する先入観〉
手を出せなかった大きな理由は、実際にお金が関わるからです
感覚的に、ゲームセンターで100円をちびちび使うようなことではないのは理解していました。
100万単位だと勝手に思っていました。
自分にはまったく関係のない世界。
「投資はお金持ちがやるものだ」とも思っていました。
それ故、怖い、借金、頭がいい人がやること、経営者くらいだろう、なんてイメージでした。
投資を知ってから実際に何らかの行動を起こすまでは、大きな葛藤があったことを覚えています。
〈投資ってなんだ〉
私は自分が納得しなければ行動できない性格です。
多くの先輩に投資について情報をいただきましたが、やはり半信半疑でした。
そう簡単に稼げる話があるか、初心者は借金して終わり、投資のプロに敵うわけないと。
それでも興味はありました。
なぜなら、億を稼げる可能性があるからです。
仕事中でもひたすら本屋に行って、投資関係の書籍を立ち読みしました。
幸い営業職だったので、会社から出てしまえば何をしていてもそれほど言われないことを利用して。
それからは、何か言われない最低限の営業成績を残し、余った時間はすべて投資に費やしました。
私のように、投資の勉強をしに本屋に来ているスーツの営業マン(おそらく)が何人かいたのを今でも覚えています。
ブームだったことは確かなので。
3か月くらい、週末以外ほぼ毎日通っていました。
何冊か購入し家でも勉強しました。
勉強というと聞こえがいいですが、当時はとくかく無知で失敗したくない気持ちでいっぱいでした
実際に取引しなければ何も成果はないのですが、そんなことは知る由もないときでしたので。
〈口座開設で親バレ〉
いよいよ口座開設まで実行します。
当時は、「新規口座開設後1か月間は取引手数料無料」が流行っていたので、5社くらい連続でした覚えがあります。
今思えば、このサービスが行動を後押ししてくれたのかもしれません。
そうは言うものの、ネットで調べてある程度の情報を入力してポチっとするだけなので、たいしたことではないです。
一度証券会社から封筒が送られてきて、署名して運転免許証のコピーを送り返せば無事口座開設の流れなのですが、それが厄介でした。
郵送で実家に送られてくるまではいいのですが、重要なものらしく人が直接受け取らなければなりませんでした。
そのため、自分が受け取れなかったときに代わりに親が受け取ったことがありました。
そこで親バレです。
当然反対されます。
普通であれば、投資を勧める親はいないと思います。
なぜなら、心配するからです。
そんな親心を無駄にするように「無料だから」と何となくやり過ごしたように思います。
実際は100万単位で入金して取引をしていましたが。
〈いざ投資開始〉
口座開設を終え投資をする準備が整いました。
私の場合、最初は会社に勤めながらでした。
もう時効なので言いますが、完全に仕事をさぼっていました。
「数台のディスプレイの前で」ではなく「車の中でノートパソコン片手に」でした
当時の通信速度は確か64kb(NTTドコモ製)だったと思います。
現在と比べるとかなり遅いと思います。
ですが、当時は特に遅いと感じることはなく十分でした。
〈デイトレに挑戦〉
取引スタイルは、ブームということもありデイトレに挑戦しました。
最初の大きな利益は「ライブドア」でした。
例の大きな事件を起こした本元です。
当時は注目されていたので、頻繁に取引していました。
ですが、この「頻繁」に徐々に苦しめられました。
取引手数料です。
ネット証券が普及し始めたとはいえ、1回の取引手数料は1000円前後でした。
それまでは、おそらくもっと高かったはずです。
ですが、デイトレーダーにはなかなかの金額でした。
取引スタイルを変える(取引回数を減らす)必要がありました
〈仕手株との出会い〉
デイトレからどうしようかと迷っているときに仕手株に出会いました。
幸い、書籍等で猛烈に勉強していたため、仕手株についてある程度の知識がありました。
と言っても「仕手株=短期間で急上昇する」くらいです。
デイトレーダーから仕手株投資に変更したのが2003年くらいです。
デイトレーダー歴は1年もないです。
そもそも向いていませんでした。
お祭り騒ぎをしている銘柄に素早く乗り、ある程度の利益を出したら素早く降りる、なんてことを毎回繰り返すことがかなり苦痛でした。
なぜなら、取引する銘柄には何の法則もなかったからです。
突然値上がり率ランキングに顔を出しただけです。
敏腕デイトレーダーならいくつか法則を見つけられるのだと思いますが、当時の私は何も見つけることができませんでした。
頭の中が完全に理系(物事に理由を求める)でしたので、何か理論がないと納得できない状態でした。
突然分からない銘柄が投資対象になって、すぐに投資対象でなくなることがとにかく無理でした。
利益が出れば何でもいいのですが、ダメでしたね。
一方、仕手株は分析すればするほど理論がしっかりありました。
ここでいう理論とは「こうなったらこうなる」みたいな感じです。
例えば「株価が下げ止まったら初動が近い」とかです。
そこに「下げ止まる=仕手戦開始の準備が完了」が成り立ちます。
数学の証明みたいになるのですが、とにかくこのように一つ一つが理論的に説明できないと行動(取引)できない性格でした。
こんなことを試行錯誤しながら、投資経験を積んでいきました。
〈損失に苦しむ〉
2002年から始めて2004年くらいまでは、利益が出ませんでした。
正確に言えば、利益は出ていたのですが損失の方が大きかったです。
「取引ルールが守れない」「損切りできない」「利益が出て調子に乗る」が主な原因です
完全にメンタルの問題でした。
サラリーマンとの兼業も影響していたのかもしれません。
ただ、投資を辞めようとは思いませんでした。
はっきり「コレ」というものはありませんでしたが、何か大きな可能性を感じていたのだと思います。
「」自分の分析力がまだまだ足りない」とも感じていました。
しっかりやるべきことをやり遂げて、その結果利益が出なければ辞めればいいと。
恐らく考え方の軸として「投資は趣味」と捉えていたと思います
〈大きな利益で会社を辞める〉
利益が出始めたのは2005年くらいからです。
当時は超低位株(株価50円以下)がたくさんありました。
仕手株の定義は投資家によって違いますが、私は「超低位株=仕手株」と捉えていました。
なぜなら、短期間で急上昇したからです。
当時はすさまじいものでした。
株価30円が150円に、しかも数ヶ月。
取引方法は、1銘柄に全資金を集中させていました。
その結果、1週間でサラリーマンの年収以上の利益が出ることもありました。
完全に仕手株の虜でした。
2004年~2007年は、もの凄い良い相場だったと思います。
当時は、それ以前の相場のことは知りませんでした。
今考えてみると、SARS(サーズウイルス)が流行ったのは2003年です。
しかも、日経平均はちょうど底でした。
株式投資を始めたタイミングが良すぎでした。
ただ、当時は完全に実力だと舞い上がっていました。
だから、会社を辞め専業になれたのだと思います。
専業になったのは2005年の夏ごろです。
「5721 エス・サイエンス」での利益がきっかけです。
株価20円が100円くらいまで上昇しました。
利益は1000万円を超えていました。
大きな利益が出たのが辞める理由の一つでした。
それよりも大きな理由は、とにかく株が楽しすぎたことでした
分析も好きで相当のめり込みました。
ただ、さすがに不安もありました。
会社を辞めたと同時に、家庭教師と塾講師を始めました。
この二つを選んだ理由は単純です。
「取引時間(9時~15時)以外、時給が高い」で検索したら出てきただけです。
幸い数学ができたため、時間外労働(予習や復習)せず、ほぼ丸一日を投資に費やすことができました。
会社を辞めてからは、ひたすら仕手株の理論について分析しまくりました。
理論の内容は「どんな銘柄が、いつ上昇し始め、いつ下落し始めるか」です。
言い換えれば「どの仕手株に、いつ買取引し、いつ売取引するか」です
こんな感じで仕手株だけにのめり込んでいたため、東証1部などの大型株、優待株、配当株のことはほとんど分かりません。
取引すらしていません。
仕手株の特性と、自分の性格や取引方法が合っているのだと思います。
〈ライブドアショックそして…〉
2006年のライブドアショックは刺激的でした。
当時の仕手株(自分の取引対象)の中にライブドア関連がなかったため、直接的な被害はありませんでした。
ですが、相場が大きく荒れたため損失はありました。
今思えば、このときにもっと損失について学ぶべきでした
この先起こるリーマンショックまでは、幸い大きな損失を経験することはありませんでした。
故に、本気で億万長者を狙っていました。
〈リーマンショックの概要〉
コロナショックが起こりました。
よくリーマンショックと比べれらます。
では、リーマンショックはどの程度だったのでしょうか。
日経平均株価の下落率で比べてみます。
リーマンショック
18000円 → 7000円
コロナショック
24000円 → 16000円
下落率で比べると、リーマンショックは60%、コロナショックは33%です。
コロナショックは、リーマンショックのおよそ半分程度の下落率です。
いかにリーマンショックがもの凄い下落だったか理解できたと思います。
〈多くの投資家が投資資金を失った〉
想像の範囲内ですが、ほとんどの投資家は多かれ少なかれ損失を出したと思います。
多額の損失を出した投資家が、かなりいたと思います。
私は運よく相場から撤退するほどではありませんでしたが、投資資金は半減しました。
2002年から投資を始めて上昇相場しか経験していなかったため、当たり前なのかもしれません。
そうはいっても、順調に増えていったお金がわずか半年で半減した現実を受け入れるのは相当きつかったです。
今まで自分のスキルで利益を出し続けていたと思っていたことが、全否定され崩れ落ちたためまさに絶望でした。
(正しく解釈すれば、自分のスキルではなく上昇相場によって利益が出ていたにすぎなかった)
今までの努力は何だったのかと…本当に絶望の日々でした。
精神的ショックは人生最大でした。
今考えても、これほどのことは今後二度と起こらないと思えます。
ただ、腐ったら終わりだとも思いました。
まだ投資資金が残っていたのが、せめてもの救いでした。
まずは、素直に自分の投資方法が間違っていたことを認めました
〈絶望から得たもの〉
リーマンショック以前は、完全に自分の取引方法を過信していました。
買取引においては、それなりの自信をもって取引していましたが、「上昇しそう」という安易な考え方で取引していたとも言えます。
上昇相場は多くの銘柄が上昇します。
つまり、取引した銘柄はだいたい利益が出るとも言えます。
だからこそ「上昇しそう」→「取引」→「利益」が成り立っていました。
これが下落相場では成り立たなく(成り立つことが少なく)なります。
このことに気づかず損失を重ねてしまいました。
ですが、絶望を味わったものの得たものがあります。
それは「確信を追い求めた株式投資法」です。
〈どのようにして完成したか〉
リーマンショック以前までは、確信とまでは言えないときでも取引していました。
「利益が出れば結果オーライ」みたいなことも多かったです。
ただ、この取引方法ではいずれ利益が不安定になります。
つまり、継続した利益につながりません
取引方法を変えればいいだけなのですが、長年しみついた取引方法はすぐには変えられませんでした。
感情のコントロールにかなり苦戦しました。
特に「取引してしまう欲」を完全になくすのは至難の業でした。
株式相場を日々監視していると「上昇しそう」という機会にかなりの頻度で遭遇します。
その度に「しそう」ではだめ、「確信」がなければ取引してはいけないと自分に言い聞かせます。
理系人間を納得させたのは統計学でした。
「上昇しそう」で取引した場合、その後どうなったのかの統計を取り続けました。
その結果、上昇する銘柄はありましたが、多くは値を戻したりさらに下落することが統計データより証明されました。
証明されたとなれば話は早いです。
今までの欲との葛藤が何だったのかと思うくらい「上昇しそう」に反応することがなくなりました。
理系人間は「数字で示されたデータに素直に従うんだ」と大発見でした。
この事実をさらに利用しようと考えました。
確率を組み合わせた確率統計学を駆使し、取引の精度を上げることだけを考えました。
今でもこの考え方は継続中です。
リーマンショックのおかげで自分の取引方法を一から見直すことができその結果、確信を追い求めた株式投資法が完成しました。
コロナショック後でもしっかり機能しています。
〈継続した利益〉
失敗は、長い人生において誰でもあると思います。
皆さんはどうですか。
コロナショックが失敗になりそうですか。
できることなら、若い時に大きな失敗を経験した方がいいです。
もちろん、失敗としっかり認めて次に生かさなければ意味がないのですが…
幸い私は、リーマンショックによって大きな失敗を経験できました。
この失敗のおかげで、それまでの取引方法を大きく見直すきっかけになりました
「上昇しそう」から「確信」の取引へと進化させました。
これによって「利益」が「継続した利益」に変わりました。
おわりに
もし、コロナショックで大きな損失を出したけどそれを失敗と認め、それでもこの先投資の世界で利益を出したいと決意したならば、取引方法を大きく見直す必要があると思います。
数年単位の作業になるはずです。
時間はかかりますが、それだけの価値(得られる利益)は十分にあります。
投資の世界で生き残るために、「上昇しそう」から「確信」の取引へと進化させてみてください。
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